今回のお話は、かなり暗いお話です。
心にフォッグ(霧)が掛かりますので、暗い話に需要がない方や免疫の無い方には、読むことをお勧め出来ません。
また興味半分で読まれるのも好ましくないかもしれません、読後感が半端なく悪くなりますので、迷わずに「戻る」
ボタンを押すことをお勧めします。
これから話すお話しは、ホラーでも悲劇でもない、普段や何気ない明日にでも起りうる、そんな普通のお話しです。
今からずっと、ずっとの昔、遠いずっと向こう側の
何処にもない、架空の世界でのお話です。
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あのころの私は、山暮らしにも飽き、現実の洗礼を受けて
とある田舎町へと流れ着き、暮らしていました。
やっと得た伴侶との間には、はじめての子が 宿り
やがて臨月を迎える頃、この電話は不意に私を揺さぶりました。
電話口からは、母の泣きながらの訴え
兄が山で遭難したと、知らせるものでした。
私は、身重の妻をその実家に委ねて、夜行のバスへと飛び乗ったのでした。
最初のうちは、どうせ明日の朝には、道に迷っただけの兄から直ぐに連絡が入るさと
軽く考えていた私に、捜索の現場の厳しい現状は、この頬を容赦なく叩いて来たのでした。
警察の捜索隊は、厳しい崖を何度となく懸垂下降し
地元の猟友会の捜索は、足を棒にしての山ゆきでした。
そんな捜索をし、成果が無いまま何日か過ぎていった頃
私たちはある提案を受けました。
この山は、森林限界が高く、山頂付近まで深い森に覆われていた為
ヘリでの捜索は難航し、探せない谷が無数にあったのです。
そこで北のアルプスを根城にする山小屋の方の紹介で、山岳救助ヘリのエキスパートを呼ぼうという話でした。
直ぐにお願いしたヘリは、現場に到着し
私はどこかの校庭でしたか、に迎えに行ったのを覚えています。
彼らは、真に救助のプロで、その心は熱く、捜索の腕も熟達
数々の遭難者をレスキューされてきた方達でした。
日本に数台だったか一台のみだったか、、高度な操縦を可能とした小型のヘリで。
同乗捜索を求められた私は、人生初の搭乗経験を、こんな形で迎えたのでした。
沢山の小さな沢筋を、尾根筋を
なめるように、なめるように
何度も何度も這うように、あの人たちは飛んでくれました。
篠原さんの声は、はっきりと鮮明に、そして的確にパイロットやクルー
、同乗の私にまで心を砕いて指示をとばすのです。
ヘリの燃料ギリギリまで飛び、給油のため飛び去ってはまた、探しに戻ってくださった。
私は、じっと目を凝らして木々の間に、兄の姿を、ザックの色を
探し続けました。
結局、兄は見つかりませんでした。
私は父と伯父と共に、あの山を最後に登り返しました。
途中のピークに打ち捨てられた、一升瓶
崩れて滑りやすい、尾根筋の崖
兄のザックかと心逸った、ミツバチの巣箱に掛けられたシートの色
忘れられません。
篠原さんのチームとは慰労の席で飲みました。
山での救助の事
その難しさと、愛する山に向けた矛盾する心
話してくださいました。
山のすばらしさ、美しさ
そして、登山者の浅はかな知識とその技量
悪天候に難航するヘリ救助に
県警は、技量能力に長けた民間である救助チームに、その救助を依頼する事が有ります。
難天候をおし、救助に向かった先では
「なんだ、お前ら民間のヘリか、県警のを呼べ」と
言われたそうです。
県警はいくらヘリを飛ばしてもらっても無料、燃料代も請求されません。
民間のそれは、数十万です。
あの空を、あのときの空を
そらの色を、私は忘れません。
あの時から、数年後
篠原さんは、救助活動の中で
命を落とされました。
良い奴は、死んだ奴です。
私は今も、浅はかな登山者と、そのブームを
そして自然を軽く、甘く考える心を
憎んでいます。
その後の家族は ひっちゃかめっちゃかに なりました。
母は心を深く病み、今では忘却の世界の住人です。
可愛そうなお母さん、孫とは絶縁で二度と会えません。
全てを忘れて、楽になれましたか? お母さん。
それが、私には唯一の救いです。
私はそんな家族と距離をとり
小さな私たちの
この家族を守りました。
けれども、そのことで
今も大きな後悔の念に駆られます。
ああ、書くことに疲れました(笑い)。
そうして、
そうして私は、今日も心の平安を求めて、
この沢を 歩いてゆくのです。
岩魚って、、 かわい(笑い)
おわり